
まぁ確かにどうでもいい話ですが、この世はどうだっていい話から成り立っているともいえる。
実は私、回し者というよりは、一人ファンクラブというほうが正しい。或いはただ単に長谷川専務のファンなんじゃないかと言われることもあるけど、まあそれも当たらずとも遠からず。いろいろな側面があるんです。
回し者というのは普通頼まれてやってるし色々便宜をはかってもらってたりするイメージがあるけど、私は何ももらってないです。あ、熊野筆は頂いたことがあるけど、あれは元々が化粧筆だったので女性に使ってみてもらってはどうか・・・ということだったらしい。あ、エプロンも頂いたけどそれは、●エプロンをさせてみたいという妄想があったのだろうと思う(意味不明
さて、初めてハセガワのJMC大阪会場に出掛けてみたのは2007年の12月。
中央に小さく見えるのがJMCの看板です。大阪城ホールといって、大阪城の敷地内にあるんですよ。懐かしいなあ。

で、このときいきなり「長谷川常務(当時)に体当たりせよ」という指令がアートボックスから出ていたんですよね。
今だから言うけど、この時点でハセガワキットを二個しか作っていなかった(72のコルセアと48の流星改)。そんな人間に何インタビューさせるっていうんですか。もぅ無茶苦茶な作戦です。250kg爆弾くくり付けられて片道燃料です。思い出しても冷や汗びっしょり。
この写真は新製品発表とか質疑応答とかやってる最中なんですが、「一体なにやってるのかよくわからず」隣の部屋から写真撮ってた私(汗
だけど初めてのJMCはとても楽しかったです。わからないなりに、素晴らしい作品を拝見するということは楽しいことでした。いいものを見るというのは大事なことだなぁと感じました。

冷や汗がまた出たのは、当時パンツァーグラフを一冊手元に持ってたんですが、長谷川専務のエッセイは読んでいなかったんです(汗
あー、私のバカバカっ。なんて失礼なんでしょう。
急いで読んでみるとこれがとても面白く、物書きとしての才能もお持ちなんだなと、正直、嫉妬も感じました。
ハセガワ製品のこともハセガワというメーカーのこともまだよくわかっていませんでしたが、このエッセイが私にとっては決定的なものでした。
ふつう模型メーカーの人が模型雑誌に何か書くって言うと、半分くらいは自社製品のこととか自社の歴史とか書いてお茶を濁しそうなもんでしょ。
でもこのエッセイにはそういうの一切なし、宣伝なし、手抜きなし。これは格好ええ〜!!と感じ入りました。
ほかの号のエッセイも読みたくなって「原稿をメールで送っていただけませんか」と思い切って頼むと
「金子辰也さん(編集長)には絶対に秘密にしてください」ということで全部送ってくださいました。金子さんには秘密という律儀さにまたホレた(バラしてすみません)。
(私にとって二回目のJMC・2008年)

東京も含めて四度でかけたJMC会場で、専務からJMCに対する熱い思いを聞いたこともあり、去年のJMC中止は大変残念に思った。それを言ってもはじまらないけれど、何か私のできることをしたいなあと思ってやってみたのが「なんちゃってJMC」
エッセイ読んだくらいでどういう人間かわかるのか? 経営者というのは経営手腕で評価されるべきだろ? という意見ももっともだと思いますが、私はエッセイやメールのやりとり等で、人柄をうかがい知ることはできると思っています。
その行間に感じられる人間性は、その後静岡ホビーショーなどで社員の方々とも話しているうちにより一層感じられるようになりました。
なんで私がハセガワにご縁を感じているか、少しわかっていただけたかと思います。
まあその後も、じわじわと色々ありまして、そうして今日があるんです。
偶然といえば偶然、飛行機モデルが好きならばいつかはハセガワ製品と出会っていたことは間違いないのですが、それでもあのときJMCに行かなかったら、あるいはローガン梅本さんがインタビューを取り計らってくれなかったら・・・・
人生はたくさんの偶然が積み重なってできているんですよね。